あめのみなかぬしさまとご真言
[あめのみなかぬしさまを信じたい人のために書きました]世界には、多くの真言がありますね。
真理の言葉、マントラともいいます。
私、???でした。
私は、生まれた時は神道。嫁いで真言宗。家族で改宗して真宗。
真宗にお世話になったのは、ある出来事がきっかけでした。
お寺は、泰蔵寺。
ご住職様が人情の人でした。
涙で明け暮れる私たちに、仏様についてそれはそれは親身になって教えて下さったの。
しかも、簡潔に。
2年くらいたった頃。
質問しても、聞いても聞いても、本を読もうとしても、涙涙。
迷い悲嘆にくれる私たちに、「南無阿弥陀仏の中にすべてがあります。」と。
これが、真言でした。真宗の御真言。
それまでは、頭で一生懸命分かろうとしていたのでした。
それが、ふと、阿弥陀如来様のそばに、自分がいたんです。
「アー ン」も、「OM」も「南無妙法蓮華経」も「あめのみなかぬしさま」も「アッ ー」もそう。
長い真言もあります。
どの言葉も、神様仏様あるいは創造主様と繋がる霊作用があるから不思議。
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ココで、ひとことご注意。
「アッ、それ言霊!」で、片付けない方が良いと思います。
それは、大根を見て「大根!」と言うのと同じなの。
大根と言った時に、お商売で考える大根もありますし、栽培を考える時も、保存、料理、薬効などなど、いろんなことが潜在意識の中で動いています。
例えば、その中のひとつ、ダイコンさんになって見たらどうでしょう。
大地から養分をいただいて、神的仕組みの体組織が働いて自分の体に吸収し加工します。
そこには、太陽や気温も虫も風も作用します。
地から太陽へ伸び、花を咲かせ、実を結びます。
そういう風に、関連や流れや力の働きや形の事を、楽しくたどるのも、時にはいいよねって、思うんです。
それでね、言いたいのは、
「大根にとって、大根言葉は必要かしら」です。
この、自然な流れを自然に受け取っているから「要らない」のですね。
大根が言葉を使えるとどうでしょう?
「嬉しい事」「悲しい事」「悪口」「心配」「笑い」「希望」・・・
私は、真言の力はそこにあると感じました。
私が力を入れた真言は、「南無阿弥陀仏」と「般若心経」でした。今もそうです。
意味は、分からなくていいんです。
安らぐ自分が、見えれば、いえ、見えなくても、つながりを感じればいいんです。
あなたも大根になれると言ったら可笑しいですよね。
じゃあ、言葉を捨てるって、どうですか。
もともと、人間には目に見える全ても事も、目に見えないすべての事も、既に働いているのですから。
私は、真言・マントラによって救われました。
言葉を離れ、仏の力に身を任せることができたからだと、思っています。
因みに(ちなみに)、
「不安」「心配」「怒り」を捨て、「笑い」「ツイテル」「人情」「ありがたい」などの言葉にも、言霊が作用します。
良い言葉がおすすめです。
あめのみなかぬしさまにお任せすると、どうして楽になるんですか?
難しい言葉で言うと、宇宙にある波動エネルギーが、自然に自分の肉体の中に、意識や言葉として浮かんでくるんです。
やっているうちにわかるようになりますよ。
あめのみなかぬしさまという名前は、あなたが信じている神様や仏様にされても良いです。
人間の言葉を捨てて、宇宙の力に身を任せる練習をしてご覧になると良いです。
そうそう、畑のおダイコンを見ながらでも、空の下の自分や大地を感じながらもいいですねー!
![広島県竹原市 エデンの海のヨッシーさん]()
広島県竹原市 「エデンの海」のよっしーさん
今は、笑い笑い笑いです(^^)/-☆
[それで、あめのみなかぬしさまとは、何ですか?]
この世にすべてを与えている神様です。
呼び方は色々です。
大根のお話がすべてではありませんが、自分から言葉を取り去って、命を感じると、自分の体の不思議さを感じることができると思います。
神様の力が我に有るという、育ててくれた父母への思いにも通じます。
信じ切った、からっぽの状態を、大安心と言います。
ところが人間は、言葉の動物です。
やはり、言葉の世界に帰らなければなりません。
大安心を感じたら、それは栄養か水か太陽のように、潜在意識や生きる力を癒します。
すると、そこに、すーっと良い事が浮かんできます。ヒントやアイディアやひらめきです。
疲れた心に疲れた考えが顕在意識を占めていたのが、癒されて蘇った心になったという訳です。
健全な良い考えが浮かぶ仕組みの一部です。
「天之御中主様(あめのみなかぬしさま)お助けいただきましてありがとうございます。」も、
「あめのみなかぬしさま」も同じです。
斎藤一人さんの教えの中で、一番力がある言葉と知恵だと思います。